いつもの買い物は、どんな方と会うのかと少し緊張するのですが、今日はほっこり。何年振りの再会かと思い出そうにも、当時、余りに密な時間が多かったせいか、どの記憶が新しく、どの記憶が古いのかすら分からなくなってしまう。
そんな人との再会でした。
たろうさんは、トトさん、じろうさんは、僕のあだ名。二人だけのあだ名です。
「二人で、たろうさん、じろうさんでいこうや。」今日は京都へ、部屋の襖に使う、唐紙をお願いに来ました。最初に会ったのは、もう、7年、8年前の話になるかも知れません。
唐長は日本唯一400年続く、京都の唐紙屋さんです。奥さんとともに次代を担うのがトトさんであり、
伝統の継承だけでなく、今や唐紙の世界に新しい道を切り拓いたパイオニアとして活躍されています。
「歳とったら、縁側で梅昆布茶飲みながら、二人で笑っていたいね」そう言ってくれたのはトトさんの方からでした。
当時の僕はまだ、誰にも認められない人間でした。
今でこそ「人を幸せにする」を社員に説いても聞いてもらえますが、当時は、まだそれは綺麗事だと言われ、誰の心にも届かず悩んでいました。
「お前は甘い」と言われ、もっと、従業員に厳しくないとダメだ、と、経営者として誰にも相手にされない頃でした。それには、両親も同じ考えだったので、自分の考えは間違っているのかも知れないと悩んでいた頃でした。
トトさんはそんな僕を「じろうさんみたいな立派な経営者」と、僕の考え方を最初に認めてくれた人でした。
確かに今でも自分には甘いところはあります。しかし、こんなすごい老舗のすごい人が、僕の考えを認めてくれた。
それは、僕にとって大きな自信になり、「人を幸せにする」が自分の仕事のあり方だと、この人のお陰で、今まで自分の考えを曲げずにやってこれました。
今日はまず、トトさんに会ったらハグしたいそう思って来ましたが、先に茶室に通されたので、その願いは叶いませんでしたが、一言、一言と言葉を交わしながら、しばらくの会わない時間を埋めていき、僕の夢だった唐紙の襖が一つ一つと決まっていきました。
ちなみに僕は、唐長に僕がコンセプトを考案したものをトトさんが再解釈して文様化した二人のコラボレーション板木があります。
トトさんは、平成令和の百文様というプロジェクトを主宰し、百の文様を百の物語とともに100年後の京都に遺すという活動をされているのです。
その一つが、僕たちの手がけた文様となります。まだ、その板木は板木になっていませんが、ろ霞ができる頃にはその板木も仕上がり、「光の雨」というタイトルで唐長に残ります。
直島の土地が決まった翌朝、まだとても静かな時間でした。直島を覆っている霞がゆっくりと辺りの風景に降りてきていました。上を見ると、太陽の日差しが霞に反射して輝いて見えたとき、まるで空から光の雨が降ってきているようでした。
その生命力の豊かさに感動した時、インスピレーションが湧きました。
もし、唐長があと何百年も続いたら、きっと僕たちの板木も、それと同じ年月この世に残る事になります。
光の雨のコンセプトは、世界平和です。
心には陰も陽もあり、陰も陽もない。自分も他人もそういう存在であることが分かれば、お互いを許し合う心が生まれる。という意味を込めました。
少し意味が分からないかも知れませんが、何となく伝わればそれでいいかなと思います。何より、言葉ではなく、文様の力でそれが伝わればいいのです。
最後は奥さんの愛子さんにも会えて、少し泣きそうになった一日でした。
A&C株式会社
代表取締役 佐々木慎太郎